昭和四十五年八月十二日朝御理解二十五節
御理解二十五節「信心は大きな信心が良い。迷い信心ではいかぬ。一心とさだめい。
「信心は大きな信心がよい」この事を神様にお願いさしていただいておりましたら「楽」という字を頂くです。合楽の楽」ですね。「大きな信心とは楽な信心ということが言える。楽というても修行も伴わなければ、いわゆる心行、表行と申しますが信心に修行がともなうのは、これは信心に限った事ではない。
何の稽古をさしてもらんでも、修行が伴わないという事はないと思うんですけれども、修行が伴なわないという事ではない。修行といえば、やはり辛抱がいる。苦しいこともある。だから、ここで私が「楽」というのは、そいう事ではないと思う。信心ちゃ例えば朝まいりをご信心されるでも、昨日なんかは若い者達、青年会少年少女会が、海水浴にまいりました。それこそ、終日遅い夜の御祈念ちょと前ぐらいに皆さん帰ってみえました。
あの炎天下の中で海水浴をするのですから、随分体もくたくたに疲れておるんだろうと思います。それでもやっぱり眠うてきついにちがいないけれども、、やっぱりお広前にチャンとでてきて居る。ですから楽なというから、夕べは休んどらんから、今日はゆっくり休ませてもらおうといったようなものではない。楽な信心、と思うのです。
そんなら楽な信心とは、どういうような事だろう。信心は大きな信心が良い。私は「楽な」ということは大きな信心という意味だと思うのです。大きな信心、大きな信心とは大きな事ばかりを願う信心かというとそうでもない。天下国家を祈り願う。それは大きな信心のようであるけれども、それは大きな信心とはいえない。願うだけなら口で唱えるだけなら、どんな大きな事でも云えますからね。
そうではない。大きな信心とは大きな心で信心することだと思う。大きな心で信心する。こういう風に分からしていただくと、なるほど「楽な信心」という意味がわかってきましょう。大きな信心とは大きな事を願うのではなくて大きな心で信心する事です。大きな心で信心すれば、なるほど楽だなとこう思います。目先目先のちょとした問題に一喜一憂するようなことであってはならん。
それを言葉を変えると「馬鹿と阿呆で道を開け」といったようなことにもなる。馬鹿になり切る阿呆になり切る。人が何と中傷しようが、どういう問題が起きてきようが、それこそ、こまいこまいと思いれる信心、心にそういう事が煩わしく引っ掛かってこない信心、そういう信心を目指す。そういう信心をさしてもらう。だから大きな信心とは、結局大きな心になることを先ず修行しなければならない事が分かる。
大きな心にダンダン豊かに大きくならして頂いたらです、なるほど楽だと思いますね。人が心配しよる事を心配せんですむ。人がいちいち腹立てよる事を腹立てんですむ。
そこで私ども日々やはり、腹をたてたり、淋しかったり、悲しかったりするような問題がある時こそ、大きな心で大きな信心を願わして頂いているから、そういう修行をさしていただいておるんだと思わないと。
心がさばけませんともう来る日も来る日も、ずーと腫れてたごつ顔してから、心がさばけんのですよ。来る日も来る日もなんじゃ悲しそうな顔してから、それは止む終えないとしても大きな信心大きな心になる事を願っているのであるからそれをね大きな信心にならせて頂く修行だといただいたらいいと思う。
苦い思いをする。今こそ苦い千振(センブリ)を飲ませていただいておる時だといただくわけです。心がけに胃が健全になる、心が健全になる。どんなことを例えば、見ても、言われても、聞いても、強い例えば、胃腸を持っておれば、どういうものを食べても障らないように、私共の心がどういう苦い思いをするようなことがあっても、それが心に障らないというほどしの御陰をいただく。
そういう稽古をそういう御陰を頂くための修行しておるんだと、日々あらゆる問題にそういう思いで取り組ませていただく。だから稽古です。それを稽古して行くうちに、何時の間にそのようにおかげを頂いているだろうかと言う事になる。
昨夜の御祈念に吉井の熊谷さんが毎晩お参りに盆がちかばってきたからお墓掃除におい出られた。去年はお墓掃除にいったら、誰が掃除したか知らんけれども、、きれいに掃除がしてあった。まあ奇特な人もあるもんだと思うてありがたいと思うた。ところが、今年はね周囲は立派に出来ていて、自分の方のところは草ボウボウであった。しかも周囲から草を持って来たり、なんか危ないようなビンなど自分の墓に積み上げてあった。
ところが先生お陰なことには、それがひとっも障りませんでした。それが以前の私だったら、どうであろうか「自分の墓だけは立派にしてから、他所の墓にこういう汚いものを持ってきて、しかもこんな危ないものまで捨ててしもうてから、どうしたら根性が悪い人じゃろうか」とこっちまで腹立てる。であろうけれども、お陰を頂いてそれがひとっも障らなかった。八時近くまでもそこの清掃に当たらせて頂いて帰らしていただいた。
そしたら夜の御祈念にまたお礼参拝させて頂きましたというて、その、その、自分のそういう処にひとっも障らない自分が嬉しかった。ありがたかった。何時の間にこういう風にお陰を頂いたで来たであろうかという訳なんです。私は信心はねそこんところをそういうふうに、お陰ヲ頂いてゆく、そういうことのためにお陰をいただける信心を稽古しなかったら、信心の稽古にはならん。拝む事ばっかり主だったら、参ることばっかり参ったんじゃ、何にもならん。と私は思う。
またはですね、そいう時に例えば腹がたったり、情けなかったり、それこそ神様の御都合に違いない。どういう御都合か分からないけれども神様の御都合に違いは無い。と信じていただけれる信心をさせて頂きたい。そういう稽古がすることがね、大きな信心の稽古、大きな心を頂ける稽古、大きな心で信心することが私は大きな信心だと。「信心は大きな信心がよい。迷い信心ではいかん一心と定めい。」
そこでです、迷い信心ではいかんどのような場合でも、動じないで済む、迷わんで済む信心ということになる。
私今朝方から、お夢をいただきました。「私が若い時に北京に行っておりました。北支、中京第一の都です。燕京とも申します。燕の都、非常につばめの多い所。わたしは今でも分からんのですけれども、私が北京に居るようです。そしてどこかに勤めているようです。そこのご主人が福岡の高橋さん高橋定利さん、私はそこに勤めておるという感じなんです。
一生懸命一日働かしてもらって、帰らせてもらった。いうなら対いっぱいのご用さしてもろうて、帰ってきたら高橋さんが、「すまんけどもう一ぺんどこどこに行ってくれんか。」と北京市内の地図をこう出してからね、そらーもう北京という所は広いです。私は十年間居りましたが、まーだ市内どこも廻った事がない、もうここで( ? )があるからもう終いかと思っていたら、それから先にまだ久留米ぐらいの街がある。
右に行っても左に行ってもそうです。それはそれは大変な街です、北京という処は。もう例えば竹細工なら竹細工を売っているまちがひと街、久留米ぐらいのまちがある。陶器なら陶器を売ってるまちがまたひとつ、これでお終いかと思ったら、またそこにまちがある。というように広い。
ですからその、端から端からと思よったら、たいへんなやはり、遠い処になるわけですが、丁度東の隅から西の隅の方に行かねばならない。その地図を広げて北京市内の地図を広げて、ヤヤコシイ所なんです。こりゃ電車で行こうもうものなら、夜中までかかる、というような所なんです。西の隅の方へ行かねばならぬ。
「今日一日いっぱい働いてきておるのに、今から行かにゃならん、もう明日にして下さい」と心では云おうかと思うとる。私の(風たらのくさ? )というんでしょうか、嫌と云いきらん性分ですから、いうなら、泣く泣くでもハイといわにゃ、出来んぐらいに、風たらのくさと云うかねイヤと言い切らん心、だもんだから心では「もう明日にして下さい、今日は疲れとりますから」と言いたいけれども、それを言わずに、じゃあ行きましょうと地図を一生懸命見て、北京市内電車が走っている、その周囲を一周している電車がある。小さい電車です。
電車で行かなければならないようです。そこに行くにはどこから乗ってどこで降りたらいいと地図で一生懸命見ているというようなお夢であった。高橋さんがご主人というところはパーと分からんことはない。皆さん例えば、夜も夜中もない、先生お願いします」と言うてから ということは皆さんから使われているようなものですね。今日は例えば10時なら10時までの一般の御用をいただき終ったから、あとは寝るばっかり、もう御用さしてもらわん、休むだけというようなことだけど、11時になろうが12時になろうが、いろんなお願い事があると( 走ってきたり?)、電話掛かってきたりするから、また改めて御神前に行ってお願いをする。
いうならば皆さんに使われているようなもんです。まあそういう意味だと思うた、私は。だから皆んなの使用人ということにもなります。よくあのう選挙に立候補の方が言いますよね、「公僕」という事、おおやけの僕、いわゆる、大衆のための、皆んなのための使役だという訳なんです。天理教なんか、最近「公僕」いう言葉が非常に使われるということです。お道流に云うと「取次ぎ者、先生は信者のための公僕だと言う風に、へりくだった言いかたでしょうね。いい言葉だと思いますね。
いうならば私も皆さんのための公僕になり切るらなければならない。どういう無理を云われても、ハイと、いうならば、云えれる私にならなければならないと、まあ思います。まあ、そういう意味もありましょう。
昔、江戸に越後屋という大変大きな米問屋があった。それは越後から出て来て、それこそ大変な難儀をしながら、苦労しながら、江戸で一番と言われるような大きな米問屋になったという、出世をした人らしい、その越後屋の主人というのは。
ですから、やはり、使用人もほとんど越後から、その越後屋を頼ってくる人たちを毎年何人か入れるというのです。その年も、自分の郷である越後から、二人の若い青年がその米屋の小僧さんとして雇われてきた。
二人とも田舎の人ですから、よく働く。その一人の方の小僧さんは、とりわけ熱心である。まあ、小僧から手代、番頭というふうに、だんだん年を重ねるに従って、いわゆる、位が上がってゆく訳ですよね。
今は、一概にお店の番頭さんと言いますけれども、昔は、小僧と番頭と言った。番頭というのは、仕上げた者、中年なっても仕上げてなかったら番頭とは言われなかった。そして、店を仕上げると、「のれん分け」と言うて、のれん分けをしてもらうのを楽しみに、一生懸命、精を出す訳なんです。
その番頭に成り立ての頃、小僧さんがだんだん勤め上げて番頭になる。年末の集金の大変忙しい時に、それこそ誰よりも少しでもと思うて、広い範囲を回らせて頂いてから遅くから帰ってき。皆んなはお風呂にでも入って、ご飯でも頂いて、一服でもしているところへ帰ってきた。
主人が、その番頭さんをつかまえて、「こげん遅くまで、どうしよったか」と。
「まあ、一軒でも余計にと思って、他の所にも回らしてもらっておったから遅くなって。すいません」
(まあ、ほうとくの、?)こげん遅うまで、というふうに言いながら、「お前、ちょっとわらじを脱ぐ前に、裏の水がめに、明日は正月ですから明朝水を汲まんでいいように、水をひとつ汲んどいてくれ」と。
まあ、心に思わんでもなかったんですね。水汲みなんか、女中がいくらもいるのに、今まで疲れきって帰ってきた自分を使わんでもよかろう、と、思わんでもなかったろうけれども、まあ主人が言われることだからと思って、そのまま、わらじも脱がずに、裏へ行って水くみをし終わって、家に上がらせて頂くと、ご主人が改まって、裏の座敷から、「ご主人が裏の座敷で待っておられるから」ということであった。
裏の離れの方にやらしていただきますと、雰囲気が違う。ご主人は何か威儀を正して、改まってござる。前には見事な御膳の用意がしてある。
「まあ、とにかく、ちょっと、ここに座ってくれ」と。それこそ狐につままれたような気で、「どういう訳ですか」と。「まあ、とにかく、床の間を背にして、この御膳の前に座ってくれ」とご主人が言われた。
まあ、言われるから、そこに座らせて頂くと、ご主人が、前に手をついて、「今日は折り入ってお願いがあるが、何と聞いてはくれぬか」という話であった。
「改まって、何でしょうか、ご主人さま」
「実は、あんたが十年前、この越後屋に小僧できた時に。二人で小僧にきたが、その時から、実を言うたら、あんたに目を付けておったんだ。あんたが履いてきた草鞋をゆすいで、裏の垣根にかけておった。それを私は見ておった。もう一人は脱いで脚をすすいで、そのまま上がった。
この人間は見込みがあるぞと思うてから、もう、あなたに目をつけておった。いつもずーと十年間、する事なす事がなかなかのもの、お道の信心でいうなら実意、丁寧、正直、真いっぱいでお店のために働いておる姿を見て、これこそ、内の、この身代をつがしてもらう、内の跡取りにするのは、もう、この番頭だと思うて、様々な手で、まあ、試してもみた。
今日とて、最後まで働いて帰ってきたあんたに、水くみをさせたのは、あんたがどういう顔をするかと思うたら、イヤな顔もせず水汲みが終わった時に、私の心は決まった。
気にもいるまいけれども、内の娘を嫁にしてくれ、ここの養子になってくれ、そして、この越後屋の身代をついでくれ」と折り入っての頼みであった、というのである。
私どもが、信心の稽古をさしていただいて「大きな信心がよい」と云やあ、大きなことを願う。それこそ、億万長者にでもならせてもらいたいとの願いをかける、大きな願いをカけるということが大きな信心ではなくて、大きな心にならせてもらうことが、大きな信心だ、と皆さんに聞いてもらいましたよね。
それまで大きな信心になる稽古、先ず大きな心になる稽古をしなければならない事が分かりますね。大きな心日々起きてくるさまざまなイヤな、にがい思いをするような事でも、それこそ大きな心にならしていただく為のお薬を頂いているような気持ちでね、その問題に取り組んで、いわゆる、神様のご都合に違いはないという頂き方なんです。
私今朝から頂いたお夢というのはそういうようなことではなかったろうかとこう思うのです。私の場合は一つも、すっきりしてなかった。今日は一日働いてきたのに、また、どこどこまで、ややこしい所まで、行かんならん。けども私の性根というか、イヤと言い切らん性分が( ? )いう程度のことなんです。本当のことを言ったらもっとすっきりした心でですね。それがね、ここにあります「一心と定めい」とおっしゃる様に、その事を一心と定めておかんと出来んのです。もうこげん使われることんなら、他に、もちぃと楽なところで給与のよかとこならいつでも変わるといったようなものが、もうサラサラない。
私自身、酒屋の小僧から番頭にしあげて、七年間酒屋の小僧にまいりました。2、3日前えでした。吉井のハタノさんがお参りをして見えて、あれは何という御理解だったかあーあそう、「信心は釘ずけではない」という御理解を頂いたでしょう。その前の日ここから帰りにバスの停留場のところに行ったら、おじいさんがふたりでバスを待ってござった。そしてハタノさんを見られてから
「あんたコンコンさんに参りはったの。」
「ハイ金光さまに参らせていただきました。」
おじいさん二人が、いよいよハタノさんに話かけなさる。
「大坪さんちゅう人は若い時にゃ酒屋の小僧に行っちゃったんですばの。まあ、酒屋の小僧どんしよったとが、今、まるっきり神様ごとん皆から言われちぃから、大したこつじゃーある。」
と悪口とも、誉め言葉とも分からんような事であったから、ここから「信心は釘ずけではない」たとえ過去にどういうような生活をしておっても、信心して御陰をいただきゃあ、こういうああいう御陰も受けられますよ」と、よっぽどいおうかと思いましてから。そのあくる日、参ってきましたら『信心は釘ずけでない」と言う御理解を頂いて、もう昨日のこと、わたしが子供時代の話をしておりましたでしょう。あの「信心は釘ずけではない」という御理解を。ですから、もう、昨日から今日にかけて思うてることを今日の御理解でいただいた、という。
そういうことで、私は七年間、小僧生活、小学校卒業してから七年間、卒業してから兵隊検査まで、それは随分、あっちこっちからスカウトに来ましたよ。一円余計出すけん、二円余計出すけんとかと言うて、あの時分の給料が十円でしたよ。
けれども、それこそ耳のここまでも貸しませんでしたね、私は。わたくしは給料で番頭に行っととじゃないから、私も酒屋になりたいという一念から、ここで酒屋の修行しようと行っとたつたですから。もう、それこそ、一心と定めておった訳ですから、だから辛抱が出来た。よう辛抱が出来たと自分でも思います。
私が丁稚に行って何日目かでした。当時、女学校に行きよんなさる娘さんがおられた。そうしたら、学校行く前、私に「靴を磨いてくれ」ちっう。私はもう、ほんなこつ、もう、血の気が引くごたる思いがした。子供ながらに。
靴を磨くなんて、女子の靴なんて、と思いましたけれども、そこは使われる身、イヤと言いきらん性分ですからね。まあ、靴を磨きましたけれどもね。私は、それ以来、そこの娘さんが学校を卒業されるまで、毎朝、もうとにかく、お掃除がすんだらすぐ、その靴を磨きました。言われて磨くのは、もうイヤですからね。本当です。
やはり根性というか、とにかく一心と定めさせていただいて、いうならば人の出来ん修行もさしてもらった。私、今朝から頂いているお夢といい、越後屋の話といい、ここまでなら誰でも努力するという、その先が一心と定めておかないと出来んのです。その向こうにですね、越後屋の身代はあんたより他に継いでもらう者はない、というお陰にまでなってくるのです。
昨日は期せずして、小倉、福岡からおまいりがあった。小倉は桂先生が見えられた若い先生二人連れて、ちょうどお昼時分だったのでお食事を差し上げて、それからゆっくりとお話をさして頂いたことでした。「ようも何年間の間にこれだけのことが出来ました。」大阪から来ている先生ですから、ここを見学したいと言われる。それからここの建築を見たいといわれる。
だから案内してみえておられた。
私の場合はスッキリしないけれども、いやいやながらでも嫌(イヤ)と云い切らん性分が今日いうならば、こういうお陰を頂いた元だとこう思います。
昨日、以前、福岡の総代をしていたと言う人が、福岡教会のことをお願いに見えられた。
いろいろ聞かせて頂いて、まあ、ほんとに、いろいろ感じることが、もう、いっぱいでした。小倉の話といい、福岡の話といい、手継きの小倉、福岡、久留米と期せずして、それが桂先生を送り出したら午後から参って来られた。というような事がありました。いよいよ大きな信心を差して頂いてどういう処でも、ご用にお使い回し頂かないといかんなあと私は昨日いよいよその事を固めた。
ありがたい事です。前日光昭先生がお夢をいただいて、「桂先生が合楽に頼むとおしゃったことがある」というお夢。そしてその翌日桂先生が見えとられます。頼みに来られた訳ではないですよ。けいどもお話の中に、私の心の中に何かをせずにはおられない、今度あちらの記念祭に当たる、この秋は。私は感じた、いよいよ大きな信心さしてもらい大きなお陰を頂いてどのような御用にでもお使い回しいただける私に成らなければいけないなという事を感じている次第でございます。
[大きな信心] それには先ず大きな心、その大きな心にならしていただく時に、どういう事が起きても、それがひとつも障らないというなら、やっぱり楽だという事になるじゃあないですか。私がここんところを頂かして貰うために神様に頂いただかせていただいたら「楽」という字をいただいた。大きな信心とは楽な信心と云われる訳です。
ですから楽の信心とは、「夕べが遅かったから今日はゆっくり休ませて貰おう」といったような意味での楽ではない。大きな心になることだという事を聞いて頂きました。しかも「迷い信心ではいかん。一心と定めい。」とこう仰る。私がこうだと心の中に思わして頂いたら私の小僧時代でもそうです。どこからどういう風に例えば誘いを掛けられても身動きもしませんでした本当に。そういう「一心というものが定められておかない」と「今日は御免こうむります」と言わなければならない時に「すまんけど水瓶に水一杯汲んでくれんか」と云われた時にいやーな顔をしなければならない。そしたら十年間その人を見つずけてきたその主人がどんなにがっかりされるだろうか。例えば大坪総一郎例えば神様が小さい時からこうやって私を見い続けて下さる。この信者ならば、この氏子ならば、この人間ならばと思うて下さって私をお育てくださる時にそれこそ神様をがっかりさせるような事があったんでは、今日のお陰を頂けてなかったと思います。
私共が日々ご祈念さしていただく時に「今日も御用にお使い回し頂きますように」と言うて皆んな願っておられるでしょう。今日もどうぞ御用にお使い回しを頂きますようにというて願うておるなら何時から何時までと決まっておる訳ないじゃない ね。いつからそれがどういう御用があるかわからん、そんな御用にでも噎せる(むせる)ことのない私は指針体制が御用にそれこそ「ハイと承らしていただく処の信心が出来ておられたら、お使い回し下さいと願っているのですから、本当にお使い回しいただくことがありがたいと心得て信心ができるという事はいわゆる「迷い信心ではいかぬ。一心と定めい。」と仰る一心と定めておかなければ、行ける事ではないと言う事です。そして本当に御陰を受けられるということは、もう、いよいよ、ぎりぎり、これが限界だと思われるような、例えば修行をさしていただいたその後にも、向こうにも、神様の願いが賭けられいる。もう辛抱できんと例えば思うところまでが辛抱ではなくて、もう辛抱が出来ん所をもう一丁辛抱さしていただく事が私は本当の辛抱だと思う。その辛抱の徳を受けてこそ本当の御陰が受けられる。それを私は大きな信心と聞いて頂きました。どうぞ。
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